公開: 2024年2月22日
更新: 2024年7月23日
封建社会であった江戸時代、武家の子供たちには、藩校において、儒教思想に基づいた徳育が重点的に教えられていました。それは、徳川幕府が基本としていた朱子学を重視していたからでした。特に、儒教思想の中でも、忠と孝の教育が重視されていました。忠は、公の組織に対する忠誠心を問題にし、孝は、親や先祖、そして家(系)を重要視する考えです。
明治新政府は、学制による初等教育制度の導入において、最初、全ての国民が知らなければならない知識の修得に重点を置いて、教育内容を設定していましたが、明治中期になると、江戸時代の武家で教えられていた儒教思想を、基本的な人間の知性として教えることが重要であるとする、復古的な思想への回帰が叫ばれるようになりました。この時代の復古的な教育思想の潮流に乗って、教育勅語が発せられました。